ハンバーガーは今や日本人なら誰でも一度は口にしたことのある、国民的食べ物になっています。
現代のようにハンバーガーが一般に普及したのは、田中角栄が『日本列島改造論』を打ち立てた昭和40年代です。
実は、それ以前にもハンバーガーは米軍基地周辺で販売されていました。
ではなぜ、昭和40年代に一般化したのでしょうか。
この点も踏まえて、日本におけるハンバーガーの歴史をお話していきましょう。
昭和20年代:米軍基地周辺の個人店がハンバーガーを販売開始
太平洋戦争に日本は敗れ、昭和20年8月から昭和27年7月までアメリカ(GHQ)に統治されていました。
これに伴い、日本各地に米進駐軍の施設ができたのです。
この時、地域の個人店が進駐軍相手にハンバーガーを販売し始めたのが、日本におけるハンバーガーの歴史の始まりです。
ハンバーガーはアメリカで労働者の手軽なメニューとして誕生し、兵士にも人気のあるものでした。
日本にも昔からの手軽なメニューにおにぎりや寿司など沢山ありますから、日本人にも受け入れやすいものだったでしょう。
現存するこの時代のハンバーガーショップに、宮城県仙台市青葉区の「ほそやのサンド」があります。
先代のご主人が山形の米軍基地でハンバーガーと出会い、あまりの美味しさに研究に研究を重ね、お店を開いたとのこと。
昭和25年(1950年)のことでした。
現在は息子さんが後を継ぎ、創業当時の感動を今に伝えています。
忘れてはならないのが、ご当地バーガーの火付け役・佐世保バーガーの存在です。
正式な記録が残っていないだけで、佐世保でも昭和20年代から米軍基地周辺でハンバーガーが販売されていたそうです。
昭和40年代:ファーストフードチェーンが登場
米軍統治が終わった昭和29年から日本は高度成長期に入ります。
日本中が忙しくなり、家でゆっくり食事を取る時間がなくなってきました。
この時代背景が、ファーストフードチェーンを流行らせる土壌を作りました。
アメリカのハンバーガーチェーン店が日本に初めて上陸したのは、昭和38年(1963年)の沖縄県です。
ファーストフードレストラン「A&W」が沖縄県中頭郡北中城村屋宜原に一号店を構えました。
ただし、この時の沖縄はアメリカ統治領だったため、厳密には日本初と言い難いかも知れません。
国産初のファーストフードチェーンはドムドムハンバーガーです。
一号店は昭和45年(1970年)2月にダイエー原町田店に出店しました。
続いて、マクドナルド(昭和46年・1971年)やモスバーガー(昭和47年・1972年)、ロッテリア(昭和47年・1972年)も登場し、日本におけるハンバーガー文化が花開きます。
●豆知識~手軽な商品が開発・発売された時代
昭和40年代はハンバーガーなど外食だけでなく、台所でも手軽さが求められる時代でした。
例えばグリコの「プッチンプリン」。
それまでは粉末のプリンの素を溶かして作っていましたが、この手間を省いて出来上がったものをスーパーで売るようになり大ヒット。
昭和47年(1972年)のことでした。
他にも、朝ドラにもなった日清食品の「カップヌードル」もこの時代に発売されたものです。
昭和46年(1971年)です。
お弁当の定番になった石井食品「イシイのハンバーグ」は昭和45年(1970年)、粉末出汁の武田食品工業「いの一番」は昭和36年(1961年)に発売開始。
このように社会全体が手軽さを求め始めていたため、ファーストフードであるハンバーガーも多くの人に受け入れられたのです。
昭和60年代:バブル景気から崩壊、デフレの象徴に
日本がバブル景気に沸いた昭和61年(1981年)から平成3年(1991年)は、ファーストフードチェーンが価格競争を始めた時代です。
まず、マクドナルドが昭和62年(1987年)に390円のセットメニュー、サンキューセットを発売し始めます。
続いてロッテリアがこれを下回る価格、380円でサンパチトリオを発売。
どちらも従来の約半額での提供ですから、小学生のお小遣いでも買えるようになったのです。
ただし、この価格競争により他のチェーン店や個人店が「高い」と消費者に感じられるようになり、客足が遠のく原因となります。
さらに追い打ちでバブル崩壊。
中でも日本におけるハンバーガーチェーンの祖であるドムドムハンバーガーは、店舗数が激減。
全盛期は400店舗を超えていましたが、今ではフランチャイズ店を含め31店舗を残すのみです。
一方、マクドナルドは、日本で発売された当時の価格、ハンバーガーを80円で販売開始。
一時期は59円まで値段を下げ、デフレ経済の象徴のようになりました。
これだけが経営悪化の理由ではないでしょうが、2000年代に入り店舗の整理を始めています。
大手チェーン店のみならず、個人店はこの時代に大きなダメージを受けています。
日本におけるハンバーガー文化は風前の灯火かと思われていました。
平成10年代:ご当地ハンバーガーが盛り上がり始める
長い平成不況が続く平成10年代、ご当地バーガーが産声をあげます。
「安かろう悪かろう」のデフレ経済から脱却をはかるべく、「良い商品を適正価格」という販売が始まったのです。
地産地消を目的とし、その地に赴かないと食べられないというプレミアをつけました。
最初に声をあげたのは、長崎県佐世保市です。
手作りで作り置きをしないというファーストフードチェーンと一線を画す販売スタイルで、佐世保ブランドを打ち出します。
平成19年(2007年)には佐世保バーガー認定制度を開始。
合格した店は「佐世保バーガー認定店」とし、認定看板を店の前に設置するように。
同じく平成19年(2007年)には鳥取県で「とっとりバーガーフェスタ」が始まります。
全国ご当地バーガーグランプリも開催され、年々権威は増してきています。
ご当地バーガー普及を目的とした「全国ご当地バーガー連絡協議会」も開設され、鳥取県は今日本一ご当地バーガーが熱い地域の一つに。
これからもご当地バーガーが楽しみですね。
令和の時代、これからの日本のハンバーガーは?
ハンバーガーが日本に上陸し約70年。
この間、日本人のライフスタイルも大きく変わりました。
その間、ハンバーガーも日本ナイズされ、今や日本食と称しても過言ではありません。
平成時代中ごろのご当地バーガーの登場に細分化されていったハンバーガーは、今後もより細分化されていくことが予想されます。
これにより、新しい地域の名物が誕生する可能性も。
どんどんと進化していくハンバーガーから、これからも目が離せません。
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